街のアートガイド

モントーバンの美術館巡り:アングル、ブールデルとナポレオンの亡霊を訪ねる

皇帝は寝室に夢を注文し、彫刻家のモデルは顔を貸すことを拒んだ。モントーバンでは、かつての司教館にその二つの話が集まる。

2026年11月2日 · 7分で読めます · ART WIKI編集部

宝石を質に入れて、ピエール・ド・ベルティエは宮殿の建設費を工面した。1671年、この司教にはモントーバンで工事を続ける資金が必要だった。担保にした品には、金の指輪、水晶の聖水器、6個のルビーをはめた聖遺物容器がある。宮殿は、かつてプロテスタントの拠点だった街にカトリックの権威を示すものだった。何世紀もあとには、スコットランドの詩人の亡霊や、身元を隠そうとする裸の弓手が、ここに居場所を得る。

モントーバンで一日のまとまった時間をあてたいのは、アングル・ブールデル美術館だ。1780年にこの街で生まれたアングルは、1867年の死に際して、4,500点を超える素描に絵画と私物を添えて故郷へ遺した。1861年に同じ街で生まれたブールデルは、人の身体について別の考え方を示す。まず宮殿を見て、絵画を通じて帝国の野心や家での友情をたどり、そのあと彫刻へ近づこう。ここで取り上げる5点はいずれも美術館所蔵だが、訪問時に見られるかは別途確認が必要だ。

ナポレオンの寝室を満たす亡霊

ナポレオンは《オシアンの夢》の下で眠るはずだった。1811年、ローマのクイリナーレ宮殿に予定された皇帝の寝室のために注文された画布は、出自に論争のある文学上の大流行から生まれた。ジェイムズ・マクファーソンは、古代ゲール語の作品だとして詩を刊行していた。真偽をめぐる議論が、その名声をさらに広めた。アングルは眠る詩人の上に、戦士と楽人の青白い集まりを描き、姿はほとんど雲へ溶けていく。皇帝の寝室には、頭上に部屋自身の夢が用意されるはずだった。

竪琴へ身を折るオシアンのまわりに、死者が集まる。人物の名を解きほぐす前に、楽器をたどってみよう。人々の間に竪琴が繰り返され、普通の絵なら建築が担う骨組みを、音楽が与えるように見える。生きて眠る人には重さがあり、その上の一団は、もっと実体の乏しいものからできている。輪郭の確かさで語られがちな画家との、奇妙な対面だ。ここでは鋭い輪郭が、亡霊を包むことができる。

政治上の目的がなくなっても、注文の絵は残った。1835年、アングルは傷んだ作品をローマの画商から買い戻し、大幅に変更した。指示のもとで修正を行ったのはレイモン・バルズである。つまり絵には、始まりだけでなく再訪も記録される。年を重ねたアングルが、皇帝のために作った亡霊の群れを考え直しているのだ。その長い隔たりを覚えながら、次の、ずっと小さなローマの部屋へ進みたい。そこにいるのは、実際に画家と親しかった人々だ。

Le Songe d'Ossian
ナポレオンのために計画されたローマの寝室用の絵。1835年に取り戻したあと、アングルは手を加えた。 作品を見る →

ヴァイオリン、子猫、手紙を残した友人

ヴァイオリンを手にしたアングルを、ジャン・アローは1818年の《ローマのアングルのアトリエ》に捉えた。手前には妻マドレーヌが子猫と座り、グレゴリアーナ通りの小さなアトリエの壁には絵がひしめく。アローはヴィラ・メディチに滞在中で、アングルと親しくなっていた。楽器は古代の人物を示す持物でも、皇帝のための小道具でもない。働く画家が一つの仕事を置き、別のことを始めようとしている。

壮大な注文の間に、この小さな家庭の出来事を挟もう。マドレーヌから夫へ目を移し、それから背後の絵を見る。アローが作る室内では、美術が夫婦生活や一匹の動物と場所を分け合わなければならない。夫婦の間の距離にも意味がある。二人のモデルのための形式的な配置ではなく、人が使い、不都合な間隔もある部屋だ。壁の品を一つ残らず特定しなくても、ゆっくり読める。

紙の上に残った友情もある。アングルの《ジリベールの肖像》の弁護士ジャン=ピエール=フランソワ・ジリベールは、最も古い友人から届いた手紙を数多く保存した。彼自身の返事は残っていない。その偏った往復書簡が画家の生涯の資料となり、ART WIKIの目録で1804〜1805年とする肖像は、若い友人の身体の存在をとどめる。二つの絵を探して並べてみたい。一人の友は自宅のアングルを描き、もう一人はアングルが送ったものを残した。どちらの話にも王の後援は要らない。

注文から署名までの20年

ルイ=フィリップと王妃マリー=アメリーは1842年、ビジーの礼拝堂のために《博士たちの間のキリスト》を注文した。1848年の革命時にも絵は未完成だった。王政は倒れ、注文は行き詰まる。やがてアングルは画布を自分で処分する権利を得て、1862年にムン=シュル=ロワールで完成させた。銘文に記した年齢は82歳。王家からの宗教画の注文として始まった作品は、画家の手元に残り、遺贈の一部となった。

構図に関係する素描が、モントーバンに100点ある。その数から、完成形だけを見れば当然の配置に思えるものの背後に、どれほどの労働があったかわかる。幼いイエスが年長の男たちの集まりの中心におり、そのまわりで顔と身振りが議論を進める。一度に全景を受け止めようとせず、一人の聞き手を選び、注意の向かう先を追ってから次へ移ろう。目で耳を傾ける時間をかけてよいと、題材そのものが教えてくれる。

一つのコレクションに収まった、異なる時間の長さも考えたい。アローには家庭の一場面が必要だったが、宗教画はアングルを20年にわたって占めた。遺贈には完成作とともに習作や私物が含まれ、故郷には判断、遅れ、やり直しを調べる材料が残された。完成作で疑問が生じてからのほうが、未完成の素描が役立つこともある。見学時には素描について尋ねてみよう。ただし、特定の一枚が見られるとは決めてかからないこと。

顔を貸すのを拒んだモデル

アンドレ・ドワイヤン=パリゴは、ブールデルに《弓をひくヘラクレス》の身体を提供できたが、裸のモデルとして顔がわかるのは望まなかった。そこでブールデルは似顔をやめ、古代風の頭に置き換えた。この軍人はロダンを通して彫刻家と知り合い、自らモデルを申し出ていた。姿勢を保つ負担が大きく、1回のポーズは短くする必要があった。英雄の強さを生んだのは、その緊張に限られた時間しか耐えられない人間だった。

8点の準備習作を重ね、ブールデルは頭と、引き伸ばされた身体の力の関係を変えていった。彫刻の題材はヘラクレスの第6の功業、ステュムパロス湖の鳥の退治だ。しかし、弓、四肢、岩の間にある空間は、想像上の標的と同じくらい目を引く。可能ならまわりを歩いてみよう。ある位置では身体が固く詰まって見え、別の位置では伸びた手足の間に、写真ではつぶれかねない隙間が開く。

Héraklès archer
ブールデルによる1909年の石膏原型。弓手の顔は、ポーズをとった人の身元を隠している。 作品を見る →

モントーバンにあるのは、表面に着色を施した石膏の原型だ。アトリエに保管され、1953年に妻クレオパトルが市へ寄贈した。その来歴を知れば、姿勢だけでなく素材も近くで見たくなる。出発前に開館案内と、選んだ作品のうち何を見られるかを確認しよう。見終えたら旧司教館の外を歩く余白を残したい。地元出身の二人と集中的に過ごす一日を、項目を消化する競争に変える必要はない。

表紙: Héraklès archer — Emile-Antoine Bourdelle. Roumagnac Guy; Ministère de la Culture (France), base Joconde