街のアートガイド

エディンバラの美術館巡り:フェルメール、スケートをする牧師、ナイアガラ

片方の刃で釣り合いを保つ牧師。スコットランド出身の移民が故国へ贈ったアメリカの滝。個人の購入品が国のコレクションになった、マウンドの美術館から始める。

2026年11月2日 · 7分で読めます · ART WIKI編集部

転ばないよう腕を広げたくなる姿勢で、この男は腕を組んでいる。《スケートをする牧師》は、難しい動作を何でもないことに見せる落ち着きで氷を滑る。人物は伝統的に、キャノンゲート教会の牧師ロバート・ウォーカーとされる。絵を追ってオランダやアメリカへ行く前に、地元のこの人から始めよう。説教壇では見られないことをしている。

現在は単に「ナショナル」と案内されるスコットランド国立美術館は、プリンシズ通り脇のマウンドにある。正面入口はイースト・プリンシズ・ストリート・ガーデンズにあり、ウェイヴァリー駅から歩いて近い。午前をコレクションに取り、午後はキャノンゲートへ歩こう。一日にエディンバラの全美術館を詰め込まずとも、肖像を町の中へ位置づけられる。

マウンド:一緒に暮らすようになった所蔵品

ウィリアム・ヘンリー・プレイフェアの美術館は1859年に開いたが、当初は二つの機関が入っていた。建物の区切りが、ロイヤル・スコティッシュ・アカデミーの展示室と国のコレクションを分けた。1912年、アカデミーは隣の建物へ移った。外からは古典神殿の落ち着いた配置に見えても、誰が美術を見せ、誰が所有するかをめぐる交渉で育ってきた場所だ。国立美術館は、部屋ごと、購入ごとに作る必要があった。

作品の話は、その過程を建築の外へ延ばす。糸の製造業者がフェルメールを買い、アメリカへ移住した実業家がナイアガラの絵をスコットランドへ送った。それぞれの私財による選択が、その後、趣味を変え続ける公衆へ差し出された。三点とも記録上はこの館の所蔵品だが、現在の公開状況は未確認である。選んだ作品について、出かける前に問い合わせたい。

私蔵のままになりかけた牧師の肖像

ウォーカーは、市外の凍った湖を使うエディンバラ・スケート協会の会員だった。《スケートをする牧師》の場所は、伝統的にダディングストン湖とされる。オランダ育ちで、履くスケート靴もオランダ式だ。小さな細部が、余暇にも来歴を与える。ほぼ一人だけにされた人物の周りには、誰もが楽に滑れると、ためらう観客を安心させる群衆はいない。

何世代もの間、個人所有の外では、ほとんど誰もこの像を知る機会がなかった。1949年の競売で国立美術館の目に留まり、購入された。今では見慣れた輪郭も、二世紀にわたって複製され続けてきたのではない。家族の絵が公の生活へ入ったのは比較的遅く、絵葉書の像は取得のあとに続いた。町が売る絵の中に、昔から自分を見いだしてきたと考える前に、この順序を覚えておこう。

ヘンリー・レイバーンへの帰属にも疑問が出され、別の作者としてアンリ=ピエール・ダンルーが挙げられた。館はレイバーンの名を維持する。家族の伝承が支え、レイバーンはウォーカーの遺産の管財人でもあった。議論を隠すことも、解決済みの探偵話にすることもない。氷に残るスケートの跡と、上着の輪郭を見よう。力まず動いているように見えることは、接触を示すわずかな印に支えられている。

スケートをする牧師
《スケートをする牧師》、1795年頃。帰属には議論があるが、ナショナルはヘンリー・レイバーン作としている。 作品を見る →

小さな静かな部屋を描く前のフェルメール

1901年の洗浄で、《マルタとマリアの家のキリスト》に署名が現れた。寸法と聖書の主題から、フェルメール作とは思われにくかった絵だ。現存最大の作品で、画業の始めに属する。小さな家庭の室内を思って来た人は、目を調整しなければならない。ここでは人物が大きく、関係をまず身体と仕草から読める。

パンを運んだマルタは、マリアが聞いている間、自分だけに仕事が残ることを不満に思う。白い卓布を背にするキリストの手が、座る妹へ注意を向ける。場面は『ルカによる福音書』から来るが、絵の中では普通の家庭の不満も読み取れるままだ。行動と観想の宗教的な区別を考える前に、マルタの訴えは理解できる。他の人が座っていられるもてなしには、彼女の働きが必要なのだ。

フェルメールは照らされた布を背景にマリアの横顔を作り、パンや布地を光で描写する。頭の中で線を引かず、顔の境目を追ってみよう。色が接するところに形が現れる。カトリックの注文主か、隠れたカトリックの礼拝所のためだった可能性があるが、最初の行き先は不明だ。不確かさは残す価値がある。もっともらしい注文の説明と、現存する契約とは同じではない。

署名発見後に買ったのは、ペイズリーの製糸会社の取締役ウィリアム・アラン・コーツだった。死後、息子たちは収集品を売ったが、フェルメールは1927年にスコットランドへ贈った。オランダの宗教場面がエディンバラの公共美術館へ届く道は、産業の一家を通る。画家名を並べるだけでは、来館者がここでこの絵と会えるようにした決定を見落とす。

マリアとマルタの家のキリスト
ヨハネス・フェルメール《マルタとマリアの家のキリスト》、1650年代。光がマリアの横顔を卓布から分ける。 作品を見る →

大西洋を渡ったナイアガラ

フレデリック・エドウィン・チャーチは1870年、自作《アメリカ側から見たナイアガラの滝》を買い戻した。絵はすでに旅の生活を始めており、1887年にはジョン・スチュワート・ケネディがスコットランドへ贈るため購入した。ケネディはアメリカで、鉄道への石炭と鉄鋼の供給や銀行業を含む仕事を築いていた。故国への贈り物に選んだのは、アメリカの風景だった。

この絵は実際の距離を求める。高さ2.5メートルを超え、細部を整理する前に注意を包み込むことができる。チャーチは彩色したセピア写真を含む準備資料を使い、観察と構築を一緒に働かせた。左の小さな足場は創作で、ごく小さな人影が落ちる水の大きさを測らせる。見つけてから、そこから目を離そう。滝がすぐ空間を取り戻す。

チャーチは描く眺めから、観光施設の多くを取り除いた。滝への関心は像の外にも及ぶ。産業の侵入からナイアガラを守る活動を支援し、1880年の保護請願にも署名した。そのため一見した原野も、無垢なものではなくなる。すでに訪問され、開発され、論争の対象だった場所を描き、どの経験を観客に渡すかを選んでいたのだ。

Niagara Falls, from the American Side
フレデリック・エドウィン・チャーチ《アメリカ側から見たナイアガラの滝》、1867年。1887年にジョン・スチュワート・ケネディがスコットランドへ贈った。 作品を見る →

説明を読むのをやめたとき、一番変わって見える絵に最も長い休止を取ろう。天気がよければ、その後ロイヤル・マイルを下り、ウォーカーの教区教会だったキャノンゲート教会へ歩ける。ダディングストン湖は別の外出へ残してよい。描かれた場所は伝統的な同定で、確かな文書の裏付けではない。時間が限られるなら、ゆっくりした美術館の午前と、つながりのある散歩一つの方が、午後を次の建物探しに使うより記憶を残す。

表紙: マリアとマルタの家のキリスト — Johannes Vermeer. Johannes Vermeer · Public domain · Wikimedia Commons