街のアートガイド

ミュンヘンの美術館巡り:アルテ・ピナコテークでメムリンク、ルーベンス、グアルディを見る

一枚の板絵の中で巡礼が進み、画家の妻が母の姿を表し、ヴェネツィアが火に包まれる。ミュンヘンの古典絵画に午前をあて、絵を囲んで生き残った建物にも目を向けたい。

2026年11月2日 · 7分で読めます · ART WIKI編集部

三人の王は、《キリストの降臨と勝利》の中を進み続ける。ハンス・メムリンクは、彼らが星を探し、幼子へ近づき、海を通って帰る姿を、一続きの風景の中に描いた。落ち着いていられる唯一の瞬間はない。見る人も絵の中を旅しなければならない。美術館の入口の多さに急ぎたくなる街で、この横長の板絵は立ち止まる理由を与えてくれる。

バラー通りのアルテ・ピナコテークを一日の軸にして、美術館地区クンストアレアルを歩く余裕も残そう。執筆時点でノイエ・ピナコテークは改修休館中。選ばれた19世紀作品がほかの場所で暫定展示されているが、今回の記録には個々の絵の確認済み展示情報はない。見学を組むときには、この区別が大事になる。コレクションの名前が、絵に会える場所の住所とは限らない。

王がコレクションを買い、街が住まいを建てる

ルートヴィヒ1世は1826年、レオ・フォン・クレンツェに絵画館の建設を命じ、1836年に開館した。委嘱の翌年には王がボワスレ・コレクションを購入し、その中のメムリンクの《キリストの降臨と勝利》がミュンヘンの所蔵となる。集めることと建てることは同時進行だった。別の注文主に仕え、別の建物に置かれ、ときにいくつもの国境を越えた品々を囲んで、この施設が形になった。

入館前に、補修された壁を見よう。第二次世界大戦の爆撃で、建物の中央が大きく破壊された。ハンス・デルガストによる再建では、古い部分と見分けられる煉瓦積みが使われ、美術館は1957年に再開した。外観は、生き残ることを、途切れのない歴史と取り違えさせない。玄関だけを建物の全体と思わず、壁沿いに十分歩き、補修部分と両側の残った部分がどうつながるかを見たい。

中に入ったら、絵の大きさだけで注目度を決めないようにしよう。今回の作品はそれぞれ、違う距離と時間を求める。メムリンクでは目を歩かせ、ルーベンスでは二人の関係が絵の中心となり、グアルディでは街の緊急事態が小さな画布へ凝縮される。昼食までにヨーロッパ絵画の全講座を終えようとせず、見る速度を変える練習として、この順序をたどってもよい。

メムリンク:世界の端に立つ寄進者

ピーテル・ビュルティンクと妻カテリーネ・ファン・レイベーケは1480年、ブルッヘの聖母教会にある皮なめし職人組合の礼拝堂へこの板絵を贈った。寄進者は画面下部の両端にいる。その姿によって、作品は聖書の挿絵を密集させただけのものではなくなる。名前を持つ人々が、特定の共同体の信仰の品に代金を払った。まず彼らを見て、それから向こうの土地を、ずっと小さな人々が移動する道を追ってみよう。

ドイツ語の別題《聖母マリアの七つの喜び》からは、七つの独立した挿絵を想像するかもしれない。しかしメムリンクは、各場面に共有の土地を与える。一本の道が異なる時に属する場所をつなぎ、目が編集を担う。最初は王たちの旅を追うとよい。それからマリアの生涯の場面や復活後の出来事へ枝分かれしよう。一度目に何かを見落としても、かまわない。

中央の場面では、男が厩の窓からのぞいている。メムリンク本人かもしれないと研究者は論じてきたが、同定には決着がつかない。名前を与えなくても、その人物の働きは楽しめる。聖なる出来事の少し外、境目から眺める姿は、板絵の外から見る来館者にも似ている。小さな窓が、大きな絵の中にもう一つの枠を作る。

キリストの降臨と勝利
ハンス・メムリンク《キリストの降臨と勝利》(別題《聖母マリアの七つの喜び》)、1480年。王たちの旅が風景の中で続いていく。 作品を見る →

ルーベンス:聖母子を思わせる家族の肖像

最初の妻を亡くしたルーベンスは、1630年にエレーヌ・フールマンと結婚した。アントウェルペンの商人の娘で、晩年の絵に繰り返し姿を見せる。《息子フランスとエレーヌ・フールマン》では、子の裸体と母の膝の上の位置が、聖母子像を思い出させる。家族の肖像は、当時の観客にすでになじみのある視覚の言葉を借りている。

借りた表現が二人を消すわけではない。個人的な関係に、公に通じる形を与えるのだ。エレーヌは特定の若い母親として認識されると同時に、キリスト教的な家族のあり方を担うこともできる。どんな種類の像かを決める前に、子どもがどう支えられるか見よう。構図は、肖像か信仰上の連想かを選ぶよう求めない。一方に気づくことが、もう一方の理解を変える。

この絵とミュンヘンの関係は、1698年の購入に始まる。選帝侯マックス・エマヌエルが、ヒスベルト・ファン・コーレンから買った。画家自身の家庭に始まったものが、支配者のコレクションへ入る。場所が変わっても家族という主題は消えないが、収集して愛でる所有物という別の用途を得た。公共の美術館では、その層を戻り、子を支える母へたどり着く時間がある。

Hélène Fourment with her Son Frans
ピーテル・パウル・ルーベンス《息子フランスとエレーヌ・フールマン》。バイエルン選帝侯マックス・エマヌエルが1698年に購入した。 作品を見る →

グアルディ:火事に中断された都市の眺め

1789年11月28日、ヴェネツィアのサン・マルクオーラ近くで火災が起きた。フランチェスコ・グアルディの《サン・マルクオーラの油倉庫の火災》は、その出来事を、オレンジの炎が見物人と建物を隔てる夜景にした。普段の秩序を崩された都市の眺めだ。場面を読み取らせる光が、その一部を壊しかねない力でもある。

幅は約62センチしかない。複製では拡大されて、巨大な歴史画の見せ場のようになることもあるので、実際の寸法に気づいておきたい。グアルディは素早い筆の跡で群衆を作り、顔をはっきりさせない。まず人を見つけ、それから燃える線へ目を戻そう。個々の身振りで出来事の全体は説明できなくても、その小ささが、光にさらされる人間の存在を与える。

Fire in the Oil Depot at San Marcuola
フランチェスコ・グアルディ《サン・マルクオーラの油倉庫の火災》。1789年11月28日のヴェネツィアの火事を描く。 作品を見る →

選んだ3点はアルテ・ピナコテーク所蔵でも、見られると決めつけないようにしたい。ART WIKIの記録では展示状況は未確認だ。旅行前に、短い希望リストを美術館へ送ろう。実際の見学では、ほかの絵のあとにメムリンクへ戻る時間を少し取っておく。もう列車を気にしながら別の館を加えるより、最後の数分で一枚を読み直すほうがよい。

表紙: キリストの降臨と勝利 — Hans Memling. Hans Memling · Public domain · Wikimedia Commons