街のアートガイド
ナンシーの美術館巡り:カラヴァッジョ、マネ、フリアンが描いた街を訪ねる
墓地へ向かう列、モデル自身が故郷へ送った肖像。ナンシーの絵は人の暮らしと近い。スタニスラス広場から入り、コレクションの中に街をたどろう。
2026年11月2日 · 7分で読めます · ART WIKI編集部
大人たちの列を離れた少女が、物乞いへ金を渡す。その後ろでは、黒い服の女性たちが花を携え、ナンシーのプレヴィル墓地へ向かっている。エミール・フリアンの《諸聖人の日》では、街の年中行事が一瞬止まり、二人が互いに気づく時間が生まれる。1888年のこの場面は、ナンシーを見始めるのによい。街の美術史は、外から来た有名な画家と同じくらい、通りや家族にも属している。
スタニスラス広場の一角の建物に、ナンシー美術館が入っている。広場は1755年、ロレーヌ公スタニスラスの娘婿ルイ15世をたたえて造られた。美術館に午前を十分に使い、午後にはその外の街へ出よう。5点の絵が連れていくのは、公爵の宮廷から墓地の入口まで。そして、自分の肖像の行き先を決めた装い豊かな女性から、自ら筆を握るようになった元モデルまでだ。
空白のある道を通って来たカラヴァッジョ
1793年に革命派がナンシー大聖堂から没収する前にも、カラヴァッジョの《受胎告知》は教会を移っていた。1607〜1610年ごろの晩年作の一つで、公爵宮殿内のサン=ジョルジュ教会の祭壇を飾り、1618年よりあとに首座聖堂へ移った。当初の注文事情は不明である。宮廷の信仰から教会の礼拝、公共のコレクションへという道のりは、街の組織の変化をたどっている。
天使は背中をこちらへ向け、画布の上部を横切るように差し向けられている。その下でマリアが身をかがめる。優雅な部屋で二人が向かい合い、等しい重みで会話する構図ではない。使者が空間を占め、受け手はその中へ身体を折る。暗がりの調度を見分けようとする前に、天使の腕の線をマリアのほうへたどってみよう。
損傷と後世の手入れを受けた画布なので、最初の筆触がすべて手つかずで残る記録とは扱えない。何が残っているかを考えるうえで、特に天使が重要になる。少しゆっくり、見分けながら見ることが必要だ。暗さは構想の一部だが、物としての絵にも歴史がある。完全な状態で保存された聖書の挿絵ではなく、いくつもの種類の施設を渡ってきた絵を見ているのだ。
二つの冬、ナンシーを記憶する二つの方法
1828年のシャルル10世のナンシー訪問をきっかけに、ドラクロワの《ナンシーの戦い》が注文された。1831年に完成した絵は、シャルル突進公がロレーヌ奪取に敗れ、戦死した1477年1月5日へ戻る。ドラクロワが描くのは、騎士ボーズモンとの命を奪う遭遇だ。19世紀の画家に求められたのは、街が遠い昔に生き延びた記憶を、像として提供することだった。
戦いは地図ほど整然とは読めない。馬と人がぶつかり合い、風景が暴力のまわりに広がる。まず下がってから、動きの中の対決を拾い出そう。勝者を知っていても、安定した中心を見つけにくい。そうした不安定さが、描かれた戦闘と、軍の位置を説明する図を隔てる。地図なら記号で済む地面を、身体が占めなければならない。
街の記憶を普通の行事の大きさへ戻すのが、フリアンの《諸聖人の日》だ。場所はプレヴィル墓地の入口。淡い冬の背景を黒い服の列が横切り、菊の花が訪問の目的を伝える。顔はアトリエで、おそらく写真も使い、丁寧に練られた。通り過ぎる一瞬という印象は準備の結果であって、その場で起きた瞬間を単に写した証拠ではない。
1889年のサロンで特別賞を得た絵は国に買い上げられ、フリアンの死後ナンシー美術館へ来た。地元の題材が、まず全国の観客を得たわけだ。とりわけ子どもの差し出す手を見たい。大人たちは死者をしのぶ途上にいるが、小さなやり取りが、門のそばで生きている人へ、一時だけ列の注意を向ける。

メリー・ローランが選んだ行き先
マネの《秋(メリー・ローランの肖像)》は、描かれた女性を通してナンシーへ届いた。メリー・ローランが生まれた街へ遺贈し、1905年にコレクションに入った。マネ没後の競売では1,550フランで買われており、おそらく彼女のための購入だった。モデルが、自分の像の公的な未来を決める人になった。衣装に気を取られ始めたら、この決定を思い出したい。
模様のある日本の布を背景に、ローランは毛皮で縁取られた衣服をまとい、横顔を見せる。秋は落葉の風景ではなく、装いの問題になった。横顔なのでこちらの視線を返すことはないが、暗い服と青い背景が導く先には、彼女の顔の色がある。この配置の中で、彼女が私たちのために何かの逸話を演じる必要はない。
この肖像は未完の四季の人物像計画に属していた。予定の4点のうちマネが完成させたのは2点で、計画がどう育ったかは正確にはわからない。アントナン・プルーストが制作を勧めたが、最初から全連作が決まっていたかは不明だ。未完であることは、この絵の独立した生にも似合う。ローランは、この一点だけを所有し遺贈できた。理解するために、残りの装飾計画を必要とはしなかった。

ヴァラドンがモデルに与えた三つの身体
モデルとして働きながら絵を学んだシュザンヌ・ヴァラドンは、《網を打つ人》でその関係を逆にした。年下の恋人で、自身も画家のアンドレ・ユッテルが男性の身体を提供し、三つの連続するポーズで描かれる。制作は1914年。凍った一瞬の代わりに、網を投げる動作が画面を横切って展開する。網があるからこそ、均衡と力のかけ方が移っていく。
アンデパンダン展に出品されると、アルチュール・クラヴァンが罵倒し、名誉毀損で有罪となった。スキャンダルとして語りやすい話だが、絵にはその侮辱以上の時間を向けたい。三人の姿を通して体重の移動を追おう。太い輪郭が一つずつの身体を分け、同じモデルの反復が、動作のある段階と次の段階を比べさせる。かつて画家の仕事を見ていた人が、今度は皆に見られる身体を配置する責任を持つ。
もう一日午後があれば、ナンシー派美術館で、個人の好みという問いを、元収集家の家へ広げられる。百貨店経営者で芸術支援者だったウジェーヌ・コルバンゆかりの邸宅に、1964年に開館した。ただし初日なら、余った数分に押し込むのはやめておこう。旅行前に5点を見られるか美術館に確かめ、スタニスラス広場にも日のある時間を残したい。館の扉を背にしたあと、フリアンの街は想像しやすくなる。
表紙: 受胎告知 — Michelangelo Merisi Da Caravaggio. Phillipot, Mignot; Ministère de la Culture (France), base Joconde
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