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ケンブリッジの美術館巡り:フィッツウィリアムでブレイク、ティツィアーノ、モネを見る

書かれた年と食い違う紙。帰国から何年も後に描かれたローマ。伐採を待ってもらったポプラ。フィッツウィリアム美術館で、よく見るための一日を過ごす。

2026年11月2日 · 7分で読めます · ART WIKI編集部

記された年は1794年なのに、紙が違うことを語っている。フィッツウィリアム美術館のウィリアム・ブレイク《日の老いたる者》は、透かしから1820〜1821年より前の紙ではあり得ないとわかる。白い髭の人物がコンパスを持つ見慣れた像には、一種類以上の「年齢」があるのだ。ケンブリッジの美術へは、この違いから入っていきたい。知っている図像と、目の前の個体とが、違う話をすることがある。

イングランドのケンブリッジで美術に一日を充てるなら、トランピントン通りのフィッツウィリアム美術館を主な目的地にしよう。大学は1816年、リチャード・フィッツウィリアムの収集品と10万ポンドを受け継いだが、恒久的な美術館が開いたのは1848年だった。設計競技に勝ったジョージ・ベースヴィは完成前に亡くなり、チャールズ・ロバート・コッカレルが建物を仕上げた。堂々とした入口は、寄贈者と最初の建築家の両方より長く続いた事業の一部だ。中では五つの作品を通じて、年代と見かけを同じように辛抱強く見ていこう。

ブレイクの宇宙は本の一頁から始まる

ブレイクは《日の老いたる者》を『ヨーロッパ、一つの預言』の口絵として作った。図像の構想は1794年で、フィッツウィリアムの刷りは、それより後に制作された本に属する。一枚の紙に、凸版エッチング、多色刷り、手作業が重なり、水彩、赤いインク、金の加筆がある。版画という呼び方は正しいが、それだけでは最初の図案が決まったあとに、どれほど手が加わったかを隠してしまう。

光の円に身をかがめた人物が、下へ手を伸ばす。髪と髭が横へ流れる一方、コンパスは下方に鋭く直線的な形を定める。ブレイクは、金のコンパスで宇宙の境を描くという、ミルトン『失楽園』の創造の記述を用いた。だがこの像を安心できる標章だけにしにくいのは、そこに労力があるからだ。身体は与えられた空間へ窮屈に折りたたまれ、その外にある何かを測ろうとしている。

同館の一枚はジョン・リネルのコレクションを経て、トマス・ヘンリー・リッチズの収集品に入った。妻の死後、1950年に彼の遺贈品が美術館へ届いた。ブレイクを目当てに予定を立てるなら、この個体の来歴も覚えておきたい。公開の有無は館へ直接確認しよう。この案内の所蔵記録には、現在見られるとの確認がない。複製は目を準備させてくれるが、実物が壁で待っていることまでは保証しない。

The Ancient of Days
図案は1794年に遡るが、フィッツウィリアム所蔵の刷りの紙には、後の時代の透かしがある。 作品を見る →

十六年後に振り返るローマ

マールテン・ファン・ヘームスケルクの《コロッセウムを背景にした自画像》は、研究に訪れた記念建築のそばに旅人を置いたように見える。だが制作は1553年、イタリアから戻って十六年後だった。すでにハールレムの画家組合の長となっていた画家にとって、ローマは最近行った場所を記す背景ではなく、自分の学びと権威を示すものだった。

大きく描かれた地味な服の本人が観客へ向き合い、円形闘技場の近くでは、ずっと小さな男が素描する。この描き手も、おそらくヘームスケルク自身だ。二つの姿が、労働と名声を分けて受け持つ。一方が研究し、もう一方が成果の前に立つ。署名と年を記した画中の札にも目を向けよう。手前の人物の服が一部を覆っている。その配置が、背後の風景に見えたものを複雑にし、画中画を思わせる。ローマでの過去は、完成した所有物として提示できるものになった。

ティツィアーノ:安全な距離を置けない王の注文

1568年の手紙でティツィアーノは、並外れた仕事を要する新作をスペイン王フェリペ2世へ約束した。それが1571年頃に完成する《タルクィニウスとルクレティア》となる。画家はヴェネツィアに留まりながらスペイン王に仕え、自分の代わりに絵が旅をした。やがて1918年、チャールズ・フェアファクス・マレーの寄贈でフィッツウィリアムへ届く。長い旅を経ても、主題の厳しさは薄れない。

タルクィニウスは短剣で脅しながらルクレティアを襲う。逃げるために必要な場所を、彼の体重が塞いでいる。刃が光を受け、彼女の涙が暴力を具体的にする。布や色に目を連れ出される前に、手と膝の位置を読もう。美しい画面だからといって、互いが誘い合う場面になるわけではない。

名前は古代史から来るが、目の前で起きるのは近い距離の身体の事件だ。周囲の群衆がどう反応すればよいかを教える絵とは違い、見る人が楽に立てる場所をほぼ与えない。争いの後ろでカーテンが動き、人物は画面の前へ押し出されるように見える。この作品は、見終えて休めるくらいの、早めの順番に置こう。軽い主題の間で、有名画家の名前を一つ確認して済ませる絵ではない。

タルクィニウスとルクレティア
ティツィアーノ晩年の王室の注文作は襲撃を描く。ルクレティアが抵抗していることに曖昧さはない。 作品を見る →

未来を見ようとする花嫁の付き添い

ミレイの《花嫁の付き添い》は、最初は長い髪が主役の小さな肖像に見える。場面を説明するのは手だ。若い女性は婚礼の菓子を指輪に通している。九回繰り返せば将来の夫が見えるというまじないだった。1851年の絵は、別の女性の結婚式で自分の先行きを考える人を捉えている。

木の板の高さは30センチに満たない。許された距離まで近づくと、その寸法が人物との関係を変える。髪が横幅をほぼ埋める一方で、指輪は見過ごしやすい。まじないを知れば、集中する指先と、上向きの視線に理由が生まれる。彼女は、絵がこちらへ見せられないものを待っている。暗い背景に未来の夫が姿を現すことはない。

トマス・リチャーズ・ハーディングがこの板絵を寄贈したのは1889年だ。この到着からも、美術館が創設者の趣味を凍結した場所ではないとわかる。最初の遺贈品には、後の寄贈者が選んだ隣人が加わった。家庭的で私的な題材だが、ブレイクの宇宙を測る道具と同じく、細かく読むことを求める。手にした小さな品一つが、一枚全体を説明することがある。

モネが払った、木をもう少し残すためのお金

1891年にモネが描き始めたポプラは、売りに出された。伐採を遅らせる費用を払わなければ、材木商の到着で連作は終わっていたかもしれない。《ポプラ》に残る風景は、しばらくの間、金銭の合意に存続を頼った。静かに見える場面の背後に、締め切りがある。

連作の多くはエプト川からの眺めだが、ケンブリッジの絵は、湿地から描いた二点のうちの一つだ。幹は整ったリズムを作るものの、その列は柵のように振る舞わず、向こうへ曲がっていく。直立する形と、後退する岸が、目を異なる方向へ引くところを見たい。S・W・サイクス大尉が1966年に遺贈し、大学のコレクションに、また一つ個人の選択が加わった。

午前中をこの美術館に充て、残りは柔軟にしておこう。出発前にはリストの各作品、とくにブレイクの紙作品について問い合わせ、未確認の部屋番号を頼りに予定を作らないようにしたい。館内が盛りだくさんに感じられてきたら、モネで終えて外へ出る。描かれた線を十分に追ったあとには、トランピントン通りにある実際の形を見るのも楽しくなる。

表紙: The Ancient of Days — William Blake. William Blake · Public domain · Wikimedia Commons