街のアートガイド
メルボルンの美術館巡り:NGVでティエポロ、ウォーターハウス、オーストラリア絵画を見る
羊の毛刈り小屋には、お金を払って埃を立てる役が必要だった。海を渡ってきたセイレーンたちは、街で論争を起こした。メルボルンの絵には、額縁の内にも外にも物語がある。
2026年11月2日 · 7分で読めます · ART WIKI編集部
誰もいない毛刈り小屋で埃を蹴り上げてもらうため、トム・ロバーツは二人の少女に6ペンスずつ払った。人が働いている空気を作る必要があったのだ。一人のスーザン・ボーンは、《羊の毛刈り》でタールを扱う少年のモデルにもなった。作業の最中を捉えたような光景は、労働者が去ったあとに仕組んだ小さな演技にも支えられていた。
そうした絵がどう公共のものになったかを考える場所が、メルボルンのビクトリア国立美術館(NGV)だ。ヨーロッパの絵には初公開のすぐあとに世界を横断したものがあり、オーストラリアの絵は購入までずっと長く待つこともあった。セント・キルダ・ロードのNGVインターナショナルと、フェデレーション・スクエアのイアン・ポッター・センター:NGVオーストラリア、二つの建物を考えて予定を組もう。出発前に、展示室の一時閉鎖の影響も含め、目当ての作品を確認したい。全部を一度に見られなくても、コレクションはこの街の人々のものだ。
埃と羊毛、コリンズ・ストリートの観客
コロワ近郊のブロックルズビー牧場で、ロバーツは《羊の毛刈り》につながる習作を始めた。完成作は1890年、メルボルンのアトリエで公開された。農村の光景には、最初から都市の観客がいたのである。男たちが羊の上に身をかがめ、小屋の構造が彼らの労働を、つながりのある一連の動きとしてまとめている。
その秩序を抽象的なものにしすぎないのが細部だ。砥石用の油瓶が光を受け、壁には毛刈り鋏が立てかけてある。一つひとつは特定の仕事のための道具だが、ロバーツが選び、配置したものでもある。埃を立てるために支払ったという話を思い出すと、説得力のある観察と構成は、一枚の絵の中に共存できるとわかる。注意深く見ることは、場面を無計画な一瞬として受け入れることとは違う。
完成から何十年もたった1932年、NGVはフェルトン遺贈基金を通してこの画布を購入した。アルフレッド・フェルトンは1904年に死去し、遺産の収益を慈善事業と美術館に分けるよう定めていた。その資金はヨーロッパ美術だけでなく、オーストラリアの絵の購入も助けた。毛刈り小屋とヴェネツィアの宴が、同じ資金の仕組みでメルボルンの人々の前へ届くことがあったのだ。

家族の歩みの先に残る墓
祭壇画の形式を入植者一家の物語に借りたのが、マカビンの《開拓者》だ。三つの画面を進むと、最初は茂みの中へ来た男女、中央は暮らしが築かれたことを示す子どもと家、最後には墓と遠い街が現れる。オーストラリア連邦の成立から間もない1904年に描かれた。
結末は、一見するほどはっきりしていない。誰が亡くなったのかも、墓のそばの男が最初の入植者なのか、その息子なのか、別人なのかもわからない。三面を連続した伝記として読むと、絵が答えない疑問が生まれる。人物と街の距離によって、一人の喪失は、より大きな発展の物語の一部になる。
その物語には、ある立場からの見方がある。ヨーロッパ人の入植は労働、家族、犠牲の連なりとして示されるが、先住民の暮らしはこの家族の物語に入ってこない。土地は新参者の進歩の舞台である。省かれたものに気づくために、額縁の中へ別の話を作り込む必要はない。ただ、この三連画だけで、描かれた場所の歴史が十分に語られると思わずに済む。
初めの開けた土地と、最後の木々越しの眺めを見比べよう。遠方には建物が現れるが、手前にいるのは一人だけ。マカビンは、社会の未来と個人が払う代価を、異なる大きさで同時に置いている。光の描き方に感心しながらも、この国家像が誰を含み、誰を外すのかに注意を向けることはできる。
真珠を使うクレオパトラ、宴を買うメルボルン
賭けへの高価な答えをクレオパトラが手にする、ティエポロの《クレオパトラの饗宴》。プリニウスの語る話では、彼女は貴重な真珠を酢に溶かして飲み、マルクス・アントニウスよりも金のかかる宴が開けると証明する。実証された食事の記録ではなく、画家が受け継いだ古代の物語として受け止めたい。
周囲の建築や衣装に比べれば、彼女の身振りは小さい。ティエポロは浪費を見る観客を用意した。価値を壊せる力が、それを所有できる証明となる舞台へ、宴が変わる。クレオパトラの手から食卓の向こうの人々まで、その隔たりを見てみよう。この逸話には、見届ける人のいる空間が要る。証人がいなければ、賭けの意味が失われる。
1744年、ザクセン選帝侯アウグスト3世のためにヴェネツィアで買われた絵は、のちにロシア皇室のコレクションに入った。サンクトペテルブルクのミハイロフスキー城では、天井に取り付けられていたこともある。1932年にソ連当局が売却し、1933年にフェルトン遺贈基金を通してNGVへ入った。ティエポロのアトリエから直接来たのではなく、コレクションが大きく再配分される流れの一部として、メルボルンへ移ったのだ。
保存修復の調査が、もう少し気取らない細部を加える。X線でわかったのは、ティエポロが犬の尾を何度も描き直し、最後には身体の下へ収めたことだった。莫大な支出を誇る絵でも、身体の小さな一部分には試行錯誤が要った。真珠を追ったら犬を探そう。作り手にも実務上の問題があったとわかると、絵は少し身近になる。
陸でも騒ぎを起こしたウォーターハウスのセイレーン
《ユリシーズとセイレーン》をメルボルンがこぞって歓迎したわけではなかった。1891年、ロンドンのロイヤル・アカデミー出品後に購入されたこの絵には、地元でホメロスの解釈を批判する声や、美術館の理事が公金を無駄にしたという非難が起きた。セイレーンのオーストラリア行きは、公的なコレクションが何を買うべきかという論争を生んだ。
大英博物館の古代ギリシャの壺を参考に、ウォーターハウスは女の頭と鳥の身体を彼女たちに与えた。批評家の中には、岩に座る、もっと普通に誘惑的な女性を期待した人もいた。考古学が混成の身体を裏付けても、誰もが好きになるわけではない。生き物たちは船を取り囲み、水夫たちが働くすぐそばまで誘惑を持ち込む。
ユリシーズは部下に、自分をマストへ縛り、彼ら自身の耳は塞ぐよう命じた。他の者が耐えて避けねばならない歌を、自分は聞きたい。その不均等な仕組みでは、船員の肉体労働が欠かせない。英雄が歌を味わう間、ほかの男たちが船を動かす。翼と櫂の関係を見てほしい。絵は音楽を聞かせられないので、身体を密集させることで、聞くことの圧力を目に見えるものにする。

離れようとしない一頭の羊
1878年のパリ・サロンに出品されたアウグスト・シェンクの《苦悩》は、1880年にメルボルンへ来た。雪の中の死んだ子羊に母羊が覆いかぶさり、周囲をカラスが囲む。鳥たちは待っている。動物の中に決意と悲嘆を読み取るよう求める場面だ。風景が、孤立した一頭と組織だった群れの対決のように感じられる。
この羊を、ロバーツの《羊の毛刈り》の動物たちの隣に置いて考えよう。あちらの身体は労働と国の繁栄の仕組みに組み込まれ、こちらでは一つの身体が感情の劇の中心になる。どちらも、羊を何の媒介もなく示す記録ではない。その違いがあるからこそ、ヨーロッパとオーストラリアのコレクションを、見学の中で対話させておきたい。
NGVに二日かけるなら、二館目を最後の1時間に押し込まず、それぞれをきちんと見よう。一日なら点数を絞り、必要な場所に入れるか先に確認する。二つのコレクションの間には休憩を挟みたい。小屋の埃と死んだ子羊のまわりの静けさは、その間に街の普通の暮らしを少し入れると、より長く心に残る。
表紙: Ulysses and the Sirens — John William Waterhouse. John William Waterhouse · Public domain · Wikimedia Commons
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